社会, 科学, 通訳, 宗教, 日本語

誤訳の冒険、その3

(下記は前回の投稿から続きます。)

今まで話しているのは深刻な問題につながらなかった誤訳だけです。でも重大な結果のある誤訳も起こっています。カーターがポーランドで遭った困難よりも大変だったのはソ連首相のニキータフルシチョフ氏が1956年に発表したスピーチの誤訳です。このスピーチでフルシチョフが共産主義の方は資本主義より長生きするという信念を表現しました。「ブルジョア階級が自分の墓掘になる」というカールマルクスが語った発言をあげました。

「好むと好まざるとにかかわらず、歴史はこちらの味方です。貴方達が自分の墓掘になるまで待つ」とフルシチョフが言いました。

これは特に落ち着かせる発言ではありませんでした。でも西洋通訳家はこれをもっと攻撃的な発言に訳しました:「俺たちはお前らを埋めてやるぞ。」アメリカ人政治家は激怒して、アメリカの国民はソ連が核兵器を発射すると心配しました。

驚くには当たらなく、日本語のような文脈依存的な言語も危ない誤訳を受けています。例えば、1945年にアメリカがポツダム宣言を発行して、日本が降伏して第二次世界大戦から退くように要求しました。この宣言について話していたら、日本首相の鈴木氏が「黙殺」と言いました。おそらく「ノーコメント」という意味でした。しかし、文脈によって、「黙殺」という言葉は「軽蔑をこめて無視する」という意味をします。アメリカの政府はこの通訳を信じることにしました。鈴木首相の「軽蔑」はトルーマン大統領が広島と長崎に原爆を落とすと判断したことに影響を及ぼしたと主張している歴史家がたくさんいます。

こんなにじめじめなテーマでエッセイを終えないために、西洋文化に重大な影響を及ぼしている非政治的な誤訳をいくつか話そうと思います。4世紀に翻訳家の守護聖人であるジェロウム聖人は聖書をギリシア語に訳せるようにヘブライ語を勉強しました。彼の翻訳は後で出版された何百個かの翻訳の基本になりました。残念ながら、一つの重大なミスが入っていました。聖書にはモーセが十戒を持って山から降りると、「頭は輝いていた」ということが書いてあります。古代ヘブライ語で「輝いている」は「karan」と言います。しかし、ヘブライ語に母音がないから、ジェロウム聖人が「角」という意味をする「keren」として訳してしまいました。なので何世紀か世界中のキリスト教徒がモーセは角があったと信じていました。ルネサンス時代の絵画を見るとモーセの角が見えます。

最後にあげる例は1877年に起こりました。その時、イタリア人科学者のジョバンニ・バージニオ・シアパレリが火星の表面を記述したり地図を作ったりし始めました。シアパレリが火星の表面にある溝を見て、これを自分の記録で「canali」と呼びました。「Canali」は「運河」を意味する英語の「canal」に似ていますので、アメリカ人天文学者のパーシバル・ロウエル私が誤解して、火星の表面に人工的な運河があると思い込みました。これは宇宙人の文明があったのを証明する証拠であると思ってしまいました。数十年をかけてこの「人工的な運河システム」の地図を作って、彼の「発見」について3冊の本を出版しました。殆どの科学者はロウエルの主張を信じていません。しかし、火星で知性のある文明があったと信じている一般人が今でもあります。

上記の事件に比べて、私の「おず」というミスはそんなに悪くないでしょう。少なくとも私がそう信じたいのです。

Standard
通訳

誤訳の冒険、その2

(下記は前回の投稿から続きます。)

しかし、ベルリンでの演説の2年前、ケネディはもっと深刻な誤訳事件と関係がありました。今回、誤訳したのはケネディ大統領でなく、ケネディがおもてなししていたオランド外務大臣でした。外務大臣はだいたい英語が分かりましたので、自分で自分の通訳家として訳していました。大部分はそれが問題につながりませんでした。オランド語も英語もゲルマン語なので、この2つの言語の一つの文法と語彙が分かれば、他の一つの言語もある程度喋れます。完全にじゃなくて…ある程度だけです。ケネディと一緒に趣味について話した時、外務大臣は自分が馬を育てていることを説明しようとしました。残念ながら、英語の「育てる」を意味する言葉がオランダ語の「育てる」を意味する言葉と同じであると推定しました。そのオランド語の言葉は「fokken」です。なので外務大臣がケネディへ「I fok horses」と語りました。

混乱は当然で、ケネディが「失礼ですが…」と言いました。

しかし、英語の「失礼ですが」を意味する言葉はオランド語の「馬」を意味する言葉に聞こえて、外務大臣が喜びそうに「はい、そん通り、失礼!」と返事しました。

上記の話から見れば、学ぶべきなのは「いつもプロ通訳家を使うこと」に見えるかもしれません。でもそれでも連絡的な成功を保証しません。例えば、スペイン人代表者がフランス人外交家のグループへの演説をこういう風に始めました:「すみません、風邪を引いています。」

スペイン語通訳家はしっかりと気を配らず、スペイン語の「風邪」を意味する「constipado」という言葉を聞いて、「すみません、便秘です」と訳しました。

通訳家は直ちに自分のミスを悟って、説明しようとしましたが、フランス人外交家な笑いがあまりにもうるさかったから彼の声が聞こえませんでした。

ジミーカーター元大統領は1977年にポーランドへ旅行した時、通訳家と関係のある同じような問題に遭遇しました。ポーランド人への演説の初めには、カーターが「皆さまのご意見を聞いて将来に対する希望を把握するために来ています」と言いました。スティーブンシーモアというアメリカ人通訳家が訳したら、「ポーランド人を性的に欲する」と言ってしまいました。

問題はそこで終わりませんでした。カーターがポーランドにいて嬉しいということを語ったら、シーモア氏が「ポーランドの陰部を掴んで嬉しい」と言ってしまいました。カーターがアメリカからの出発について話したら、シーモア氏が「アメリカに出て二度と戻らない…」と言ってしまいました。最後にはカーターがポーランドの憲法を褒めたら、シーモアは憲法がバカにされているとポーランド人へ言いました。アメリカの大統領が憲法を貶して、痴漢行為すると言って脅迫したから、ポーランド人が怒ったのは当然です。

(続く)

Standard
社会, 通訳, 日本語, 仕事 

誤訳の冒険

(下記の文章を私が受けている通訳クラスのために作成しました。もともとのエッセイは英語でした。数日にわたってこのブログで翻訳しようと思います。今日、投稿するのは「誤訳の冒険、その一」です。)

最初に今の会社で面接を受け、毎朝の現場報告会の内容を同時通訳しなければならないと言われたら、その場で断ろうかと思いました。同時通訳の経験を持たず、生産のノルマやエンジニアリングの問題に関する語彙があまり分かりませんでした。タイにある姉妹会社からの構成部品が最新の仕様書の公差を満たしていないということを日本語で説明できないで恥をかくことを頭の中に想像しました。

「ありえない」と私が思いました。「その目に遭いたくない。」

もちろんご存知の通り、私がその仕事につきました。実際に毎朝の現場報告会で同時通訳をしています。また、時たまに恥ずかしい目に遭います。でも一番恥をかいた時はエンジニアリング用語と関係がありませんでした。短く、簡単な言葉と関係がありました。その言葉は「みず」でした。

ある朝、会社の保全部のマネージャーが特定の水道管は工事中だから工場の特定の場所には水を取れなくなると報告しました。私がヘッドセットを使って通訳して、工場の特定の場所に水が出ないと説明しました。しかし「水」でも「お水」でも言いませんでした。2つ目の音節を強調して「おず」と言ってしまいました。

その時、「おみず」の2つ目の音節を強調すると「水商売」と同じ意味をするのを知りませんでした。実は「水商売」は何なのか分かりませんでした。数日が経ってからホステスバーとキャバレーが工場の特定の場所に出ない、と私が日本人同僚に言ってしまったのがやっと分かりました。

私はラッキーでした。私の日本人同僚は私の伝えたかったことが分かって、私のミスを楽しみました。他の歴史的な誤訳はもっと深刻な結果につなかりました。今日はこの誤訳について話したいと思います。

まず、危険にならず世界中の人々に笑わせた誤訳について話します。おそらくこのタイプの中で一番有名なのはケネディ大統領が1963年にベルリンで語った発言です。第二次世界大戦が終わってから壁で分られていたベルリンの市民との連帯感を表すために、ケネディが演説の終わりに「Ich bin ein Berliner」と語りました。伝えたかった意味は「私もベルリンの市民です」ということでした。しかし、出身と仕事を話す時、ドイツ人は普通に「ein」という不定冠詞を抜きます。なので「私はベルリンの市民です」は普通に「Ich bin Berliner」という風に訳されます。

ケネディがベルリンで演説してから、「Ich bin ein Berliner」は「私はゼリードーナツです」と同じ意味をすると主張している人がいます。でも現実はそんなにコミカルではありません。ベルリン出身であるのを説明すると、「Ich bin ein Berliner」は一番一般の言い方ではありませんが、文法的にでも俗語的にでもこの表現は不正解ではありません。いずれにせよ、文脈からみればケネディの伝えたいことをよく理解できました。ケネディが誤って自分を「ゼリードーナツ」と呼んだという話は都市伝説に過ぎません。

Standard
イベント, 超常現象, 宗教

超常現象カンファレンス

前回の投稿ではアメリカ人の超常的な信念について説明しました。今回、超常現象を中心にしたカンファレンスについて説明しようと思います。

私は2年ほど前にこのカンファレンスに出席して、強制に夫を連れて行きました。夫は超常現象を信じません。いや、それだけではなく、超能力者などに対して疑いを抱きます。「だまされやすい人を騙そうとしてばかりいるじゃないか」と夫がよく言います。ある程度、彼の考え方が分かりますが、信じるふりをするのはちょっと楽しいじゃないか、と私が思います。なので無理やりに夫にカンファレンスに参加させました。

ところで、カンファレンスは「Enlightened Soul Expo」(啓発された魂の博覧会)と呼ばれました。

入場したら最初に見たのは「レイキ癒し」をやっていた人でした。日本語の言葉なのに、「レイキ」という言葉がアメリカでどう使われているか分かる日本人は少ない気がします。古代日本で発明された癒しの方法だと言われているけど、それは真実なのかどうか分かりません。

「レイキ癒し」では、信仰療法の専門家は患者のオーラを触れることで癒しを促進します。レイキ癒しが行われる時、専門家は手を伸ばして、仰向き横たわっている患者のオーラを調整します。でも目で見えるのは専門家がじっと立ちっぱなしにしていることだけです。

「いったい何をやってるか」と夫が囁きました。

レイキ癒しであるのが分かりましたが、どこまでどういう風に効果があるのか分かりませんでした。少なくとも、レイキを受ける患者さんは少しリラックスできるかなぁ…

レイキ癒しエリアを去って、販売エリアに入りました。そのエリアではあらゆる信仰療法の道具は売れていました。水晶、ピラミッド、エッセンシャルオイルなどがこのようなイベントで販売されたのは驚くには当たらないけれど、意外な商品もありました。例えば、「脳を携帯電話の電波から守れる」と主張した機器がありました。確かに放射は携帯電話から来るけれど、イオン化するタイプではないので、脳にダメージを与えません。このような商品は間違えなく詐欺です。実は、色々な効果のない商品がこのようなイベントで売れていますので、気をつけないといけません。私はその点で夫と同意します。

次に特別なチケットを買って超能力者のプレゼンに出席しました。プレゼンが始まったら、超能力者は自分の技能を説明しました。

「子供の頃からすごく敏感だ」と彼女がいいました。「予感で将来を見れた。また、周りの人の感情を読めた。成長したとともに、亡くなった人の声も聞こえることになった。」

「嘘でしょう」と夫が囁きました。

 「人を手伝うことが大好きだ。皆さんの将来を見ることで安心させてもらいたい。」そう言ったら、超能力者は観客を1人ずつ向いて、予知を発言しました。

ある女性に向かって、「親が亡くなっていますね」と言いました。

「な、何でそれを知ってるの?」とその女性が返事しました。

「あの女性は65歳に見える」と夫が囁きました。「親が亡くなってるのは当たり前だ。」

実は、プレゼンが進むに従って、そのようなパターンに気が付きました。相手は年寄りであれば、超能力者はいつも「大切な人が亡くなっているね」と言いました。

相手は若者であれば、いつも仕事やロマンスについて喋りました。例えば、「今は就職活動ですね」、「ボイフレンドができたね」のような話が多かったです。

相手は中年であれば、いつも結婚や子供について話になりました。

ある面では、このパータンは別に怪しくないと思いました。超能力者は「人の感情を読める」と主張していて、就職によって強い感情が引き出される若者が少なくありません。同じように結婚、子供、親たちの冥福を心配する人間は多いのです。もしかしたらこの超能力者は本当にみんなの本感を吸収していましたでしょうか?

問題は一つありました。私は今までのパターンにはまっていませんでした。若者に見えたのに、就職やロマンスを別に心配していませんでした。年寄りの観客と同じように、亡くなった家族 (弟) を考えていました。しかし、私の番になったら、超能力者は弟について話さずに「どんな仕事がいいか迷ってるね」と言いました。

厳密にいうとこれは不正解ではなかったけれど、私はちょっとがっかりしていました。弟からのメッセージを聞きたかったから。

プレゼンが終わったら、オーラ撮影しました。もっと正確にいうと、夫にオーラ撮影をさせました。椅子に座って2本の棒を手で掴んで集中したら、オーラが写真に写る、と発売員が言いました。夫は渋々発売員が説明した通りしたら、数分後に写真が印刷されました。

「うわ!と発売員が言いました。「オーラはオレンジ色だね。創造力がすごいという意味だ。」

夫はフリーランスイラストレーターなので、これは正解でした。

「角にこの紫色の部分もあるね」と発売員が言いました。「それは保護的なエネルギーだ。誰かが亡くなってるか?」

「祖父」と夫が返事しました。

「やっぱり!お祖父さんのエネルギーだよ。はい、30ドルお願いします。」

私が支払いました。後で調べたら、写真に写る色はオーラではなく、手から出て2本の棒で発信される熱エネルギーであるのが分かりました。熱画像みたいな感じです。でも魅力的な写真だから、今でも持っています。

それで帰って私の体験が終わりました。みんな、どう思いますか?私が超常現象と触れ合ったでしょうか?あるいはカンファレンスで働いた人がみんな詐欺師だったでしょうか?ご意見を聞かせてください!

Standard
社会, 超常現象, 宗教

超常現象を信じるアメリカ人

読者たちは超常現象 (霊、超能力など) を信じますか?信仰の厚いアメリカ人の多くがそういう現象を信じるのは驚くに当たらないかもしれませんが、最近アメリカ人の中ではニューエイジの信念が前よりも流行っているのを知っていますか?

社会や科学が前進するに従って迷信的な信念が消えると思えるのに、アメリカでは実際に逆です。なぜなら、アメリカ人は「有力者」を疑う嫌いがあるからです。科学者もほとんどのアメリカ人に「有力者」として分類されています。

上記の表で示されている通り、アメリカ人のほぼ50%は悪魔と幽霊を信じています。それよりも驚くことには、13%は吸血鬼を信じています!このような信念はキリスト教徒の中でもキリスト教徒ではない人の中でも人気があります。

下記の引用は45% of Americans Believe Ghosts and Demons Exist (「アメリカ人の45%は幽霊と悪魔を信じる」)という記事から抜粋しました。私が翻訳します。

アメリカ人の45%は幽霊を信じることを発言するので、多くのアメリカ人は地球にある特定の場所に幽霊が出ることも信じるのは驚くに当たらないでしょう。アメリカ人の大人の中では、おおよそ十分の四は幽霊が戻って来て人や場所を取り憑けるのを信じます。女性(51%)の方が男性(35%)よりこの信念を持っています。

霊の存在を感じたことがあると言うアメリカ人は三分の一より多いのです。上記と同じように、そういうことを体験していると言う女性(41%)の方が男性(31%)より多いのです。アメリカ人の13%は亡くなった人の霊と直接連絡したことがあると主張します。

アメリカ人は幽霊のみならず、超能力も信じます。下記は ‘New Age’ beliefs common among both religious and non-religious Americans (信仰が厚いかどうかにもかかわらず、多くのアメリカ人はニューエイジの信念を持っている)という記事からの引用です。私が翻訳します。

全体的には、おおよそ十分の六のアメリカ人は少なくとも一つのニューエイジ信念を持っています。具体的に言うと、純分の四のアメリカ人は超能力者、また霊的エネルギーが物理的な物事にあるのも信じます。多少小さな割合は霊魂再来(33%)や占星学(29%)を信じます。

個人的に言うと、私は超常現象に興味を持っているのに、そういう現象を信じません。しかし、数年前、超常現象についてカンファレンスに出席しました。次の投稿でその話を語ろうと思います。

Standard
社会

ペットのギャップ

海外から来た人に「アメリカ人についてどう思いますか?」と訊ねると、答えは様々です。「とてもフレンドリーだ」と答える人がいます。「体がデカい!」と答える人もいるでしょうね。でも日本人に訊く時、答えはたまに「アメリカ人はペットが大好きだ」ということです。

初めてこの発言を聞いた時、私がちょっと驚きました。ペットが好きであるのは普遍的じゃないか、と私が思いました。後で把握したのは日本人もペットが好きなのに、アメリカ人に比べてあまりペットを飼わないことです。実は、アメリカ人の家庭は67%がペットを飼っている一方、ペットを飼っている日本人の家庭はたった27%です。

なぜアメリカ人の方がペットをたくさん飼っているかというと、少し不明です。しかし、私の想定は下記の通りです。

アメリカの方が日本よりスペースが広いのです。国土だけではなく、一つの家庭が所有している土地も広めです。これはペットを飼うことにふさわしい状況です。

また、アメリカは最近まで未開拓地の多い田舎らしい国でした。土地を開拓したり発展したりするには、動物(特に馬、牛、犬、ヤギ、羊など)は不可欠でした。なのでアメリカ人は動物のそばに生活することに慣れているかもしれません。

にもかかわらず、ペット飼い主の数については、日本がもうすぐアメリカに追いつくようです。実は、2003年から、日本に住んでいるペットの数が日本に住んでいる16歳以下の子供の数を上回っています。2003年にはペットが1920万匹いて、子供が1790万人いました。2009年にはペットが2320万匹いて、子供が1700万人いました。

日本で一番人気があるペットについて統計を見つけました。日本の家庭の中では、一番多いペットの割合は下記の通りです。

犬: 11.5%

猫: 10.1%

魚: 5.7%

鳥: 1.7%

亀: 1.6%

アメリカでのペットについて統計は下記の通りです。

犬: 31.1%

猫: 21.0%

魚: 6.4%

鳥: 2.8%

小動物(ハムスターなど): 2.7%

個人的にういと、私はペットなしに生きていけません。ペットがいなければアパートは静かで寂しすぎます。しかも、子供たちを生まないので、ペットが私の子供になっています。(笑) 子供の代わりにペットを育てる傾向は日本にも流行っていると聞いています。

Standard
アニメ・漫画, 映画

B級映画

私がたまに聞かれるのは、「何か趣味があるか?勉強以外ことをやらないか?」ということです。もちろん趣味ががありますが、普通人にとってちょっとおかしいと見なされるかなと思います。この趣味は「B級映画」です。

Wikipediaから下記の定義を盗みました。

• A級映画 – 潤沢な予算により制作された大作映画。ハリウッド映画に代表される興行収入を重視し人気俳優を揃えたブロックバスター狙いの映画、映画祭などに出品される芸術性を重視した作品。

• B級映画 – 低予算で小規模の小作品。俳優や監督は無名・新人であり、A級の格下という比喩的意味合い。

アメリカでは、SF、カンフー、ホラー、アニメなどがよく「B級映画」として区別されています。A級映画に比べて、B級映画の方は評判が悪くて、傑作だと考えられていません。それなのに、B級映画が大好きである人は私だけではありません。B級映画にはいったいどういう魅力があるでしょうか?

私の場合、子供の頃からホラー、SF、全体的に変な映画が大好きでした。なぜなら、ユニークであるからです。評論者に楽しませようとしません。受賞しようとしません。ハイセンスを目指しません。B級映画が集中するのは二つのポイントだけです。

1. 視聴者に興奮させること

2. 監督者の「ビジョン」を伝えること

正直にいうと、B級映画なら、監督者のビジョンは普通に悪趣味でstupidです。しかしある面では実直です。A級映画が計算式で書かれたり撮影されたりされるこの時代には、B映画を見るのは意外とすがすがしい体験です。

プラス、B級映画は私に笑わせます。「偶然なユーモア」という特徴があります。アメリカではよく「so bad, it’s good」(あまりにも悪いからこそ良い)と言います。

日本は同じような上映が行われるか分かりませんが、アメリカでは「Midnight Movies」という上映がよくあります。この上映では、B級映画が好きである人が集まって、「クソ映画」に対する気持ちを表すことができます。アメリカに人気があるMidnight Moviesには下記の映画が含まれています。

The Rocky Horror Picture Show

(ザロッキーホラーピクチャーショー)

1975年に公開された時からMidnight Movieとして人気のある「ザロッキーホラーピクチャーショー」はこのジャンルのクラシックです。ストーリーは70年代に認められなかったテーマ(特に同性愛、異性装)を中心にします。

The Room

(ザルーム)

この映画に対する一番適切な記述は「カジュアルに奇妙」です。監督者は不倫についてドラマを作るつもりで「偶然に面白い」というジャンルの傑作を作ってしまいました。特に変なのは演技、脚本です。結婚した日にストレスを解消するために、私がこの映画を見ました。

House

(ハウス)

「ハウス」は1977年に撮影されてその後に失われた日本のホラー映画です。2009年までアメリカで公開されませんでした。その年、Janusというスタジオが「ハウス」の映画上映権を買って、アメリカで出しました。日本でいい評論を取れませんでしたのに、アメリカ人のB級映画大ファンは「ハウス」が大好きでした。

日本にもB級映画が好きである人がいますか?もしいれば、教えてください。

Standard
イベント, 社会

グラウンドホッグデーとは?

今月、私はちょっとがっかりしています。なぜなら、春が早く来るのが予想されたのに、天気がまだ寒いです。そんなことがどういう風に予想されたかというと、変な話になります。

グラウンドホッグに予想されました。

日本にはグラウンドホッグがよく知られていない気がするから、ちょっと説明しようと思います。グラウンドホッグはリスと同じ科で、たまに「ground squirrel」(地面に住むリス)と呼ばれています。北米に住むリス科の中では、グラウンドホッグは一番大きなやつです。体重はおおよそ6キログラムで、長さはおおよそ50センチです。普通に人間の庭を破壊する害獣とみなされていますが、年に一回、ものすごく重い責任を負います。

その責任は春の初めを予想することです。

19世期にはたくさんのドイツ人がアメリカへ移住して、自分のしきたりを持ち込みました。そのしきたりの一つは「グラウンドホッグデー」でした。

厳密にいうと、ドイツで祝われたのはグラウンドホッグデーではなく、アナグマデーでした。なぜなら、ドイツにグラウンドホッグが住んでいません。毎年2月2日には、ドイツ人がアナグマをつくづくと監視しました。アナグマが穴から出た時に自分の影を見ると怖がって逃げちゃうという信念がありました。その場合、冬がもう6週間かかるという意味です。しかし、アナグマが自分の影を見なくて怖がらないと、春が早く来ると言う意味です。

アメリカへ移住した時、このドイツ人が住んだ地方にアナグマがいなかったから、どこにでもいたグラウンドホッグに切り替えました。

現在、アメリカの色々な場所でグラウンドホッグデーが祝われていますが、一番有名な祝いはPunxsutawney(パンクサターニー)というペンシルベニア州の町で行われる祭りです。

その祭りで現れるグラウンドホッグはPunxsutawney Phil(パンクサターニーフィル)と言います。毎年、グラウンドホッグデーに向けてフィル君が一時的な住まいへ移動されます。2月2日の朝日が登る前、数千人の人がその住まいの周りに集まって、フィル君が出てくることを待ちます。ビール、食べ物、ゲームなどがあって、フィル君を待っている間、楽しい時間を楽しめます。フィル君がやっと登場したら、認定された特別な審判が彼の反応に目を注ぎます。フィル君が自分の影を見て怖がると、春がもう6週間続くと審判が発表します。フィル君が影を見なくて怖がらないと、審判は春がもうすぐ来ると発表します。(言うまでもなく、フィル君の正解率は別に良くないけれど、それに誰も気にしません。)

今月、フィル君は春が早く来ることを予想しました。その予想直後、ミシガン州が突然冷え込んで、前より冬らしくなりました。フィル君が嘘つきなのか、審判たちの解釈が不正解だったのか、私には分かりません。

ところで、アメリカのコメディ映画が好きであれば、「Groundhog Day」という映画を勧めたいのです。(日本で「変なデジャブ」とよばれると思います。) 主人公はパンクサターニーのグラウンドホッグデー祭りで中継する記者で、何かタイムループに捕まって何回もグラウンドホッグデーを追体験します。フィル君も映画に登場します!

Standard
社会, 精神病, 宗教

アメリカでの仏教

Image result for american buddhism

2017年には私が「Great Lakes Buddhist Vihara」というお寺に初めて入りました。あのお寺で起こることが何のか見当が全然つきませんでした。キリスト教で育った私にとって、仏教は宇宙そのものほど未知でした。「白人もこんなところに入ってもいいかな」と私が思っていました。

Image result for great lakes buddhist vihara

その日から半年の間、週に2回あのお寺で瞑想をしに行きました。毎晩は同じパターンでした。(1)5分の聖歌、(2)30分の瞑想、(3)20分のダーマレッスン。坊さんたちはみんなスリランカ人で、仏教について何も知らないアメリカ人へ仏の考え方を伝えるように頑張りました。情緒不安定のある私にとって瞑想そのものが役に立って、貴重な経験でした。しかし、儀式にあまり興味を持ってありませんでした。いいえ、違います...興味がなかったというよりも、興味があったのに参加する気がでませんでした。

殆どの仏教への改宗者は私と同じだと思います。安心を得るために仏教風の瞑想を練習するにもかかわらず、仏教のもっと宗教的な面にあまり関わらないことにします。アメリカ風の仏教を具体的に説明するように以下の記事を翻訳しました。

Image result for buddhism in america

最初に仏教がアジア人移民を通じてアメリカに来ました。アメリカに住んでいる仏教徒は合わせて百万人~5百万人いて、その仏教徒の中ではアジア系の人が大半数を占めていると言われています。1965年に移住法が変わり、アメリカへ移住する人が増えてきました。そのアジア系の移民と一緒に、中国、日本、後でベトナムの伝統が含む先祖の崇拝パターンが来ました。この家族と伝統を中心とする仏教のタイプが広がっている一方、学者がいわゆる「白人・仏教」(つまり、仏教の教義を抱いているヨーロッパ系アメリカ人)に大きく集中しています。

アメリカ人仏教徒の中では、凡そ4分の1は伝統的なキリスト教、ユダヤ教、もしくは世俗主義から変わった改宗者とみなされています。宗教学の学者のPeter N. Gregory氏によりますと、仏教がインドから東南アジアまでの文化で発展しましたので、仏教に含まれている伝統、儀式、そして哲学は様々です。

Image result for buddhism in america

Gregory氏によりますと、アメリカ風の仏教が6つの特徴で定義されています。これらは俗人が参加すること、瞑想に集中する事、民主的な理想、男女共同参画、社会的活動、そして西洋の心理学に対する寛大さです。アメリカ人改宗者の間に人気のある創価学会がアフリカ系アメリカ人、ラテンアメリカ人を一番歓迎する宗派として知られています。活発的に改宗者を探している「福音主義的な仏教」と記述されています。

アメリカ人仏教徒は何でしょうか。祖先とつなげるように昔の儀式をやっていてアメリカのメインストリームを離れているビルマから来た移民ですか。もしくは、全体的な文化に影響を及ぼせることが含まれているストレスフルな生活に対してグループ瞑想に参加しているハリウッドセレブですか。答えが視点によって変わってくる、とGregory氏が主張します。

Image result for ann arbor zen buddhist temple

私は信仰の厚い人ではありません。それなのに、私が仏教の考え方に慰められて、その考え方を実施することで不安定な感情を管理できます。なぜ仏教に引き付けられているかというと、仏教が命の根本的な特性を認めると思うからです。この特性は苦しみです。キリスト教も苦しみがあるのを認識するけれど、その苦しみを個人のせいにしてしまいます。もっと具体的に言うと、個人の「生まれつきの罪」のせいにしてしまいます。生まれる時から罪がついているというのはキリスト教の基本的な信念ですね。それ一方、仏教の考え方は「人間は根本的にいいのに、命イコール苦しみ。命の目的はその苦しみを認めたり共存したりすることだ」ということです。私にとって、その方が現実的で、楽観的な考え方です。

Standard
社会, 宗教

アメリカでの宗教

ある日、私の日本人同僚はアメリカ人同僚と話していました。アメリカ人同僚が「あなたの宗教は何?」と聞いたら、日本人同僚が「宗教は何もない」と答えました。

「それは最悪の答えだ」とアメリカ人同僚が言いました。「仏教であれば仏教と言ったらいい。キリスト教であればキリスト教と言ったらいい。でも『宗教はない』ってダメだよ。」

アメリカの社会規範では、このような発言が少し率直すぎると見なされます。しかし、根本的な考え方そのものは珍しくありません。アメリカは信仰の厚い国です。実は、信仰があまりにも厚いから、多くのアメリカ人は宗教なしの生活を想像できません。一般的に、アメリカ人が宗教に支援されたり慰められたり励まされたりされています。なぜなら、植民地時代から宗教がアメリカの社会での最大強い力です。

ヨーロッパ人が最初にアメリカを探検した時に、確かに金銭的な狙いでした。しかし同時にキリスト教をアメリカで設立しようとしました。南部にはスペインがカトリク教を設立し、北部にはイギリスが新教(プロテスタント教)を設立しました。17世期の前期にピューリタンが北米へ移住したら、主な目的は宗教的な迫害を逃げることでした。(その時イギリス政府を支配していた英国国教会はピューリタンたちの信念を認めていませんでした。)

歴史上、一番信仰の厚い人々の一つはきっとピューリタンたちでした。宗教はピューリタン社会のあらゆる面を管理したり整理したりしました。ピューリタンたちの考え方が今でもアメリカ社会に大きな影響を及ぼしていると言う人が少なくありません。

その考え方は下記の通りです。

1. 神様と直接話せること

2. 勤勉に働くのは何よりも大切であること

3. この世は罪が溢れていること

この信念を一つずつ考えてみましょう。

神様と直接話せる

カトリク教も英国国協会では、神様と話したい時に聖職者を仲介者として使う必要がありました。17世期のピューリタンたち(また現在の殆どのアメリカ人キリスト教徒)はこの信念を却下し、自分は神様との関係が個人的であると思います。こんな考え方は独立的なアメリカ人に合うらしいです。

勤勉に働くのは何よりも大切である

私の認識では、この信念がカルバン主義から来ました。17世期のカトリク教はお金持ちで、怠惰であると考えられていました。それに対して、ピューリタンたちが勤勉さ、謙遜、そしてハードワークを重視しました。日本に比べて、現在のアメリカ人が別に過労していないかもしれませんが、西洋の国々の中では、アメリカの方は働く時間が長くて、休む時間が短くて、雇用主からもらうベネフィットが別に良くありません。それは間違いなくピューリタン的な起源に関係があります。

この世は罪が溢れている

キリスト教の根本的な信念は、みんなに生まれつきの罪があります。人間の本質は悪くて、神様の恩恵なしに天国に入れません。この考え方を背景として、ピューリタンの方が特に厳しかったのです。その結果、現在のアメリカ人は犯人などに対して厳しい方針を執行しています。割合的には、他の国々よりもアメリカの方は受刑者が多いのです。また被害者のない犯罪(麻薬関連の犯罪など)の場合でも厳罰が課されています。

「生まれつきの罪」という原則は他の信念にもつながっています。これは「the just world fallacy」(正当な世界の誤信)です。正当な世界では神様がいい人へ恩恵を提供して、罪人へ苦難を与えます。その理屈では、苦難を苦労している人々は罪人で、手伝いに値しません。なので、貧乏な人などを手伝いたくないアメリカ人が少なくありません。

この投稿を読めば分かると思いますが、私はピューリタンの考え方があまり好きではありません。しかし良かれ悪しかれこの国を形成しています。

他の宗教への憎しみ

他のアメリカ人は私の意見に同意しないかもしれませんが、アメリカ人は全体的に寛大だと思います。アメリカに住んでいる人々は色々な国から来ていて、色々な宗教があります。殆どのアメリカ人は違う宗教の人々と平和に共存できます。

しかし、アメリカ人プロテスタントに憎まれている宗教がいつも一つあるようです。植民地時代には、カトリク教でした。(プロテスタントたちがカトリク教から迫害を受けたから、これは驚くには当たらないでしょうね。) 実は、この反カトリクの考え方が意外と長い間続きました。John F. Kennedyが1960年に大統領になった時、アメリカがカトリク人を大統領にするのははじめてでした。その時まで大統領はみんなプロテスタントでした。

残念ながら、ユダヤ人もアメリカで迫害を受けました。ネットを閲覧すると、ユダイヤ人が嫌いであるアメリカ人を簡単に見つけられると思います。大統領と言えば、もしBernie Sanders候補が選挙に勝つと、最初のユダヤ人大統領になります。

でも今一番迫害を受けているのはカトリク人ではなく、ユダヤ人ではなく、ムスリムです。実は、ムスリムたちがキリスト教徒と同じ神を拝んでいるにもかかわらず、ムスリムを信用していないアメリカ人が多いのです。アメリカに住んでいるムスリムたちは軽蔑、不信、そして暴力を受けています。先に言った通り、殆どのアメリカ人は非常に寛大ですが、寛大じゃないアメリカ人はたまに危険です。

アメリカ人が嫌いであるもう一つのグループについて話そうと思います。このグループは無神論者です。無神論者は現在アメリカの人口の10%を占めますが、あまり好かれていません。実は、「好かれてない」というよりも、「恐怖されている」と言う方がいいでしょう。理由はまちまちですが、宗教なしで道徳的な生活を送れないと思う人々がたくさんいます。最良な場合、宗教のあるアメリカ人は無神論者を地獄から救いたいのです。最悪の場合、無神論者を権利の持つ地位から除きたいのです。個人的に言うと、無神論者が大統領になることを想像できません。

だからこそ、日本人同僚が「それは最悪の答えだ」と言われました。

Standard